ちがう2つもきっとつながる!「だいたいおなじ」5/20発売!

他者評価でゲームはつまらなくなる?「自分で納得する」面白さの設計と遊びの本質「自分で盛り上がる感覚」が大事。

テストログ

「だいたい同じ」は「違うものを同じとする」というテーマから入ってつくっているゲーム。とても大事なゲームを作っている感覚があるが、ゲームとして面白くするのに苦心しています。養老孟司さんが「感覚」の逆の概念として「違うものを同じとする」という話をしていたのを聞いて、形にしてみたくなっています。

カードゲーム「だいたい同じ」のテストプレイを繰り返す中で、気づいたことがある。人に判断を委ねる遊び方が、面白くないという人が複数現れた。

「だいたい同じ」は、2枚のカードに描かれたものの共通点を見つけるゲームだ。「かぶとむし」と「ふくろう」——どちらも夜行性。そういう答えを出していく。

ルールを試行錯誤する中で、一時期「投票制」を取り入れた。プレイヤー全員が順番に答えを出し、いちばん納得・面白いと思った人に投票する。得票が多かった人の勝ち、という方式だ。

ゲームの性質上、ジャッジがあいまいなゲームで、だいたい同じと言っていいのかどうか、判断できないことがあった。その欠点を、投票制は補ってくれた。プレイヤー全員の中で、「相対的」にこの人が良かった、というルールならば、誰の回答が好きかは、各プレイヤーが主観的に判断できる。

ゲームとしては、きちんと機能した。誰かが勝つ流れを自然につくれたし、あいまいな答えでも「一番」を決められる。欠点を補う仕組みとして、合理的だった。

でも、テストプレイを重ねるうちに、複数の人から同じようなことを言われた。

「誰が面白いか?となると、上から評価されている感じ。試験みたいで楽しめない」

「もとの、手札から選ぶ遊び方の方が、答えをひねり出す楽しさがあった」

人に評価を委ねると、発言できなくなる。

投票制では、自分の発言がよかったかどうかは、他の人が決める。自分で答えを出した瞬間には、達成感がない。他の人が手を挙げて初めて、自分の答えに意味が生まれる。

すると、何が起きるか。「普通の答えでは票が入らないかも」と思い始める。人の気を引く、面白い答えを探そうとする。純粋に「ここが一緒だと思う」という感覚より、「これは受け入れてもらえるか?面白いか?」が先に来てしまう。それは、発言のハードルが高くなり、ちょっと苦しい。自分を見失う。

「自分でクリアした」感覚が、楽しさの核だった。

一人で静かにカードを並べて遊んでみると、もとの遊び方には別の手触りがあった。

共通点が見つかった瞬間、「あ、これだ」と思う。誰かに認めてもらう前に、自分の中で何かが鳴る感じ。料理がうまくできたとき、面白いダジャレを思いついたとき、に近い感覚。ひらめいた!って思って、何も考えずに作りきった最初の感覚ゲーム「1ミリ感覚」をつくった時の感覚。

投票制には自分で見つけた「発見」に対して、「これは普通すぎる」という他人の目からも判断してしまう。その分「自分でクリアした」という充実感がしぼんでしまう。確実に、OK・NGが判断できる代わりに、大事なものが抜けていた。

だから、投票制をやめた。

「だいたい同じ」の基本「発想モード」は、手札の中から自分でカードを選び、共通点を言えたらokの方向に戻ることにした。誰かに評価してもらうより前に、自分の中で「これでいける」と思えるかどうか。そこが楽しさの核心だと気づいたから。

ゲームを通じて気づいたことが、ゲームの外にも広がっていく気がした。「いいこと思いついた!」と自分で勝手に盛り上がること。もし、それを人に伝えて、反応が悪くても、全てをその反応に委ねないこと。相手の反応に全てを委ねるという意味で、奇をてらうことの虚しさは、そこから来るのかもしれない。私自身ウケ狙いをたくさんしてきたタイプだが、反省した。

「自分と納得できたら、それが答えでいい」——それを、ゲームの設計で体現できないか。まだ試行錯誤中。

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