ちがう2つもきっとつながる!「だいたいおなじ」5/20発売!

発言するゲームですが、「誰が言ったか、よりも何を言ったか」で判断します。

感覚のこと

ゲームは判決がわかりやすい。サイコロの目は何か、数字は超えたか、下回ったか。しかし、「だいたい」はそういうゲームではない。

テーブルゲーム「だいたい同じ」では、回答がOKかNGかを判断するのは、周りにいる人たちだ。出した答えが、一緒に遊ぶ人たちに「なるほど」と伝わるかどうか。それだけが基準になる。

これは「妥当性」という概念に近い、と気づいた。

「妥当」という言葉は、哲学書を完全には理解できないなりに背伸びして読んでいた思春期を思い出させる。

プラグマティズムの文脈で出てくる言葉だ。ウィリアム・ジェームズは「真理とは有用であること、うまく機能すること」だと主張し、絶対的な真理の概念を退けた。リチャード・ローティはさらに踏み込んで「真理という概念自体が不要」と言い切り、「あるコミュニティの中で納得されていること=妥当」という立場を提唱した。

ゲームでいえば、コミュニティとは「一緒に遊ぶ人たち」のことだ。だから、誰と遊ぶかによって、同じ回答でもOKになったりNGになったりする。絶対的な正解はない。それは欠点ではなく、このゲームの本質だと思っている。

一方で、職場を思い浮かべる。まったく同じ発言をしても、誰が言うかで説得力がまるで変わる。重要な立場の人が言えば納得され、そうでない人が言っても流される。これは不公平だと感じるが、同時に人間の本性をよく表した「真実」でもある。

なぜそうなるのか。おそらく、人は「意識」を有限に使っているからだ。やるべきタスクをそれぞれ抱えた中で、重要でないと判断した発言には、自然と意識が向かない。どれだけ正しいことを言っていても、聞く側の意識がそこに向かなければ、言葉は場に落ちたまま消える。
遠くで鳴いている鳥の声は、電車に乗り遅れまいと走っている時には聞こえない。

「だいたい同じ」は、「誰が言ったか」を問わない。

回答はシンプルだ——「この2つの共通点は何か」。それを聞く全員が、「伝わるかどうか」に意識を向けている。自分のタスクはなく、他のプレイヤーの回答を聞くしかない。自分の回答を先回りして考えようとしても、自分の番のお題カードは自分の番が来るまでわからないから、先回りして考えることができない。

それゆえに、このゲームは平等だと考えている。ユートピア的な理想としての平等ではなく、ルールの構造として平等が成立している、ということ。

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